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2005年07月20日

十字軍における各勢力の軍勢(アラブ側2)

アラブ側の十字軍時代の勢力を説明するシリーズの第二段です。今回はセルジューク朝の軍勢について説明します。

   セルジューク朝の軍勢

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(11世紀後半の勢力図)

セルジューク朝

 1037〜1157年まで存在していた王朝。中央アジア出身のトルコ系民族グズ族の一派であるセルジューク=トルコが10世紀頃族長セルジュークに率いられて故郷のクヌクからジル川下流に移り住み、アッバース朝から分離独立した。11世紀頃には領土は中央アジアから小アジアまでの広大な領土を持つようになり1055年、バグダードの実権を握り1058年、遂にアッバース朝のカリフ(教主、宗教の指導者みたいなもの)からスルタン(政治的指導者)の称号を貰い、勢力をさらに拡大し続けたが12世紀から内乱などで国内が分裂しカラ=キタイ(西遼)やホラズムの侵略を受けて滅亡する。


セルジューク朝軍の軍勢
 
 大方はアッバース朝と同じであるが改良が加えられていた。アッバース朝の仕組みのままだと正規軍が少なく傭兵等に頼らざるを得なかったためより強い封建制度を取り入れたのだ。
つまり一地方・一地域の統治と歳入を一人のアミール(領主)の手中に置貸せる代わりに、その返礼としてアミールはスルタンに年ごとの貢物と戦時には定められた人数の兵士を連れてスルタンの軍に入るという仕組みである。これにより軍を維持する費用をスルタンではなくアミール達に分散させることが可能になりスルタンは大規模な正規軍を維持できるようになったのである。


正規軍の内訳


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      (アスカリ)

 セルジューク朝軍は大まかに別けるとスルタンの近衛兵とその手飼いの家臣団、そして各アミールの配下の封建制に基づく部隊の二つであった。
 各アミールはスルタンよりも小規模な正規軍を近衛隊として擁しこのようなアミールの近衛隊はアスカルと呼ばれ、アスカルに所属していた兵はアスカリと呼ばれた。このアスカルは封建制によって選出された兵士ではなくアミールの私兵であった。しかし危急の時以外には大抵の戦いはこのアスカルと傭兵隊がこなしていた。
 アミーの私兵の保持をスルタンは認めはしていたものの反乱を防ぐ為にアミールの保持できる私兵の数には限りがあり、その上限はアミールの地位によって決められていた。

 正規軍には少ない歩兵

 スルタンの近衛兵や各アミールのアスカルはほとんど皆騎兵であった。また封建制で徴集される兵士も皆騎兵であった為に正規軍には殆ど歩兵が存在しなかった。さらにアスカルを補強するための傭兵もトゥルクメンの弓騎兵やダイラム人(山岳民族で貴重な歩兵)から構成されており、歩兵は少なかった。しかし戦争には歩兵の存在は無視できず、セルジューク朝は歩兵隊を無理やり町や村から徴兵した者、宗教的な報いを求める志願兵、または軍隊についてまわる人々で構成した。彼等の役目は拠点防衛や設営、攻城戦に限られていた。しかし一部の歩兵部隊(アレッポ、ダマクスク、ハマの民兵)は装備のよく高い錬度を維持していた。
posted by sinba at 16:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中世の軍事>十字軍 |ブログランキング・にほんブログ村へ
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