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2005年07月18日

十字軍における各勢力の軍勢(アラブ側1)

十字軍では様々な勢力が存在していました。決してキリスト教諸国とイスラム諸国とで分けることは出来ないのです。さらに十字軍の期間は長く、その間にある勢力が滅びたり興ったりした上、特にイスラム側は一致団結をしていなかったので軍勢を二つに分けて説明するのは不可能なのです。
 ですから今回の十字軍の勢力の説明は各勢力ごとに説明していきたいと思います。今回はアッバース朝の軍勢です。
    十字軍 アッバース朝の軍勢
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(アッバース朝最盛期の領土)

アッバース朝

 750年〜1258年に存在しいたイスラム圏の王朝でカリフを抱き、バグダードに首都を置いていた。あぶる=アッバースが同じイスラム圏のウマイヤ朝を倒して、この王朝を開いたが後にフラグが率いるモンゴル軍によって滅ぼされた。


軍の中核

 アッバース朝は他の例と同じく大勢の常備軍を持っていなかった。常備軍といえるものはこのはカリフの近衛兵ぐらいであった。この近衛兵はカリフの護衛兵を中核に重騎兵、重歩兵、弓兵の4種類の隊からなっていた。数はおよそ4000人程度で出身は殆どトルコのトランスオクシアであった。

様々な人種で構成されていた軍隊

 戦争が起きると近衛兵だけでは数が少なすぎるので当然兵士を徴集した。この兵士達は様々な種類で構成されていた。まず部族ごとが引き連れた兵士達、カリフに尽くそうとする志願兵たちがまず挙げられるが給料はカリフから出たが武具は自腹であった。次に傭兵が徴集されるのだが彼等は雇われる前にイスラム教に改宗せねばならなかった。傭兵の大半は異教徒であるロシア人、フランク人、ギリシア人、ペルシア人だったがカリフ軍にはいる為にイスラムを受け入れた職業軍人がほとんどだった。

改編された軍勢

 10世紀末になると軍の編成は効率化のために改編された。北アラビア人軍団、南アラビア人軍団、ペルシア人軍団、トルコ人とアフリカ人の軍団と人種によって4つの軍団に分けられた。こうすることによって言語の壁を取り除き、命令をスムーズに伝達する事が出来たのだ。
 各軍団にはペルシア人かトルコ人の騎馬弓兵部隊が付属しており、これを含めると一軍団はおよそ一万人程であった。そしてこれらの軍団をアミール(領主)が率いた。1000人の連隊の場合はガーイドが率い、100人ほどの大隊か中隊はナキーブが、50人ほどの小隊はハリファが率いた。

アッバース朝軍の進軍

 進軍中は5つの軍勢に別けられた。中央と左右両翼、そして前後に隊を別け、中央の本隊を守ったのである。前衛は常に本体の数`先を行き、宿泊予定地がある場合は本隊が着く前に溝を掘り塁壁を盛りたてたりした。
 物資を運ぶのには主にらくだを使った為、キリスト教諸国の軍隊より素早く移動できた。
長距離の進軍では歩兵もらくだを使用したが短距離の場合は騎兵が後ろに歩兵を乗せて移動した。


このアッバース朝の軍勢の編成や進軍方法は各アラブ勢力の軍勢の基本となったものであり、他勢力の軍勢はこの編成に多少工夫を加えたものであった。


          参考図書「アラブが見た十字軍」アミン・マァルーフ著
              「十字軍の軍隊」   テレンズ・ワイズ著

 
posted by sinba at 22:28 | Comment(0) | TrackBack(1) | 中世の軍事>十字軍 |ブログランキング・にほんブログ村へ
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Excerpt: 昨日、「キングダム・オブ・ヘブン」という十字軍の騎士を 描いた映画のDVDを購入して、見た。 以前記事にした聖杯伝説の際にもこの映画について触れたが、 ..
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