北十字軍

北の十字軍の流れ
この十字軍はプロシア、今のポーランドに居住していた異教徒(あくまでもキリスト教徒にとって)をキリスト教に改宗する事が目的で行われた。1230年、チュートン騎士団の騎士20名とその領臣200名が現在のポーランドにあるヴィッスラ湖畔に拠点を構え改宗活動を始めた。1237年までにこの一団は首尾よくあらゆる抵抗を排除し、プロシア地域の植民を開始した。その後騎士団はさらに奥のりヴォニアに行動範囲を広げたが1242年に騎士団の視線がリヴォニアに向いている隙にプロシアの諸族が反乱を起こした。これに対処する為、6万人のゲルマン人とボヘミア人からなる十字軍がチュートン騎士団の助けに進発した。1260年にはプロシアの騎士団領は再び完全に騎士団の支配下に置かれ、足元が安定した騎士団はリヴォニアとプロシアを繋げる為、この両地域の間にあるシャマイテン、及びクールラントに侵攻を開始した。1267年にこれらの地域を占領した途端、またもやプロシア地域で反乱が起こり、鎮圧するのに1280年までかかった。
チュートン騎士団と剣の兄弟
北の十字軍に参加した騎士団は二つあった。チュートン騎士団と「剣の兄弟」である。
チュートン騎士団は1192年頃から白い外套かサーコートに黒い十字の印をつけたものになった。領臣は灰色の外套かサーコートに切頭十字(T字型)の印をつけていた。
1219年以降、騎士団総長のサーコートとマントには、銀の縁どりをした騎士団の十字のしるしがある。なぜならイェルサレム王は騎士団総長に、騎士団の黒十字の下にイェルサレムの黄金の十字のしるしを帯びることを許したからである。
剣の兄弟は1204年にリガの司教がドイツ人植民者を守るために設立させたものでこの騎士団は1206年には50人ほどの騎士を抱えるまでになったが1212年から1223年には三分の一が戦死、1237年には半分が戦死してしまい、チュートン騎士団と連合した。しかしチュートン騎士団長の指揮下に入ったわけではなかった。
「剣の兄弟」はより先の尖った形のグレート・ヘルムをかぶっており、携えたヒーター・シールドは当時すでに支配的な楯の形になっていた。袖が肘までのサーコートは13世紀後半にはよくあるが、なかには目一杯長い袖のものもあった。この時代のポウレインが膝の正面と側面を完全に覆っていた。
参考図書「十字軍の軍隊」 テレンス・ワイズ著
桂 令夫訳

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